2012年3月 5日 (月)

若い人たちの居場所

 16年前、中学卒業とともに東京に転居した仲間が訪れた。奥さんと3歳になる子どもを連れて。「かげんどら」がいちばん活発だったときで、活動に勢いがあり何をするにも新鮮でまた楽しく思えたころの仲間。10代の参加者が活動の中心で、今振り返るといかにもフリースクールらしいことをやっていたのではないかと思える。

 「かげんどら」はフリースクールとして彼らとともに一つの時代を過ごして、ちょうど彼らの卒業を境に、次第にフリースクールに代わって「居場所」的な色合いが強くなってきた。「一つの時代」と書いたのは、想像の域を出ないのだが、おそらく今述べたような経験は同じ時期に活動を開始した全国のフリースクールに多かれ少なかれ共通しているところがあるのではないかと。つまり、80年代半ばごろから「登校拒否」をする子どもが急増しだしてから、不登校に対する理解がある程度落ち着くまでの一時期、およそ15年から20年。その後、フリースクール「運動」(という形容がもし許されるのならば)は徐々に収束へ向かう。

 それでは、「かげんどら」はその後どのような経過をたどったのだろうかと、その仲間を東京に見送って考えた。アダルトチルドレン、社会的引きこもり、ニート、広汎性発達障害をはじめとした、私たちにとっては未知の領域に属する様々な障がい概念(そのことの賛否はあるが)と出会うことになる。不登校は学校を卒業すれば終わるわけだが、障がいはその人のからだや心に刻印されたものだから、特定の年齢層ではくくれない。小学生の参加はいつしかなくなり、仲間の平均年齢は年々上昇し、年齢の幅も広がる。不登校の子どもも含めて、「その後」の「かげんどら」はそのような若い人々の拠り所、居場所になっていった。

 仮住まいから本拠をいただけるようになって、喫茶店を開業した。そのような若い人たちの地域の居場所にすることが目的だった。多くの方にご協力いただき、仲間のお母さん方のご尽力により、またずいぶんご迷惑をおかけして、おかげさまで10年もちこたえた。そして、いまは特別支援学校等に通う子どもたちに放課後の居場所を提供している。

 先日、特別支援学校に通う子どもの親たちが主宰している児童クラブの方と話しをする機会があった。特別支援学校の子どもは家と学校の往復だけで一日が終わってしまう。放課後地域で過ごす場所がほしいというのが児童クラブを始めた理由だそうだが、「かげんどら」の当初の目的もまさに同じところにあった。いま、放課後支援を始めて偶然か必然かそのころの目的に返ったわけである。

 放課後支援は静岡市の福祉制度の枠中で行われるので、従来の居場所の感覚のようにはなかなか運ばないのだが、フリースクールや従来のような居場所と同じように、数少ない地域の社会資源を提供しているという自負を持ってやらせていただいている。私たちに与えられている限られた物的、金銭的、そして人的要素を用いてより質の高いサービスを提供してまいりたいという思いには変わりはない。

 フリースクールはあの時代の要請だったという面は否定できない。今後、あのような時代に回帰すると考えることはあまり現実的ではない。フリースクールに対するニーズは無くなったわけではない。その他の困難な状況にある人々のニーズと同じくらいの程度においてという意味で考えるのがちょうどいいのかもしれない。一方で、「かげんどら」の活動が放課後支援という制度化された事業にますます依存することについての懸念も無くはない。この制度のおかげで私たちの念願であった障がいを持つ子どもの居場所を安定的に運営できるようになった。制度に乗ることの安心感は他に代えがたい。子どもを預ける親御さんの側も制度上の事業ならば安心していただけるし、金銭的な負担も少ない。複数の事業の委託を受ければ規模の効果で運営はより安定するだろう。

 事業規模を大きくすればより多くの必要に応えることができる。あるいは事業を特定の障がいや事情に特化すればより効果的にサービスを提供できるだろう。私たちにとってはどちらも魅力的に見える。しかし、なんとなく言う前から分かっているようだが、「かげんどら」はそのどちらの方向にも向かわないだろう。ある社会的課題は最終的には(地域)社会の中で解決される。「かげんどら」の活動の場はその初めからずっと地域に軸足を置いている。問題の社会的側面を抜きにして課題それ自体を掘り下げるだけでは問題の解決にはならないことがある。不登校や引きこもり然り。障がいも同じである。

 障がいの「克服」を本人の努力の問題に矮小化してはならないし、障がいゆえの社会的ハンディや不利益を本人に負わせてはならない。どのような障がいも最終的には社会的な理解と社会からの歩み寄りが障がい「克服」の基本原則。人が「普通」を生きるためには、社会は人の前に障害を置いて人の生を妨げてはならない。人が何らかの生きづらさを持つならば社会はその人を社会に迎え入れる(包摂する)方策を施さなければならない。もちろん本人が社会参加への意志を持つことが前提とされるし、社会参加への途上においてその人にふさわしく計画されあるいは配慮された環境でリハビリを受け入れることが必要かもしれない。その際、居場所はかなり重要な位置づけとなるだろう。(専門性とか資格の有無等の理由で残念ながら社会的評価が伴わないのだが)。

 人はだれでも最終的には地域という社会で生きる。学校や施設、病院からの地域移行は福祉のこれからの規定の流れとされている。地域は、暖かくもあれば冷酷でもある。善悪混淆、雑多社会。大体は思い通りにはならないと踏むのがちょうど良い。いろいろな人生の寄せ集まり。腹の立つことばかり。しかし、それらを差し引いてもなお余りある魅力、世界との自由な関わり。「かげんどら」は地域にあって地域の前庭である。リハビリ環境としてはまあまあだと思うし、フリースクールをやっていた時期をも含めて私たちがずっとやってきたことは要するにそれに尽きるのではないかと思う。

 放課後支援事業が一息ついて、さて居場所に目を向けた時に、「かげんどら」のメッセージの発信力が以前に比べて弱くなっていることが最近気にかかっている。私たちが「かげんどら」に託す使命を今一度思い返し、覚悟して、それを明確な言葉にして伝えていかなければならないと考える。ここに、行きづらさを感じ、行き悩んでいる若い人たちの心の居場所がありますと。

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2012年2月 4日 (土)

静岡市発達障害を知る集い

立春、大変な西風の中、静岡市中央公民館で静岡市主催の標記講演会を聞きに出かけた。講師は静岡市発達障害者支援センター所長前田先生。「発達障害の理解と支援のために」。30分の講演時間で発達障害を教科書的にまとめて話されて、初めての人でも分かりやすく説明されていました。

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2012年2月 1日 (水)

音楽交流会

静岡市内養護学級の音楽交流会が静岡市特別支援センターで行なわれました。かげんどらに関係する子どもが出るので参観させていただきました。中田小学校は児童8名で合奏ヘイジュードを演奏しました。子どもたちの呼吸が良くあっていて、日頃の練習と先生方の指導の程がよくわかりました。とても良い発表会でした。お疲れ様。

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2012年1月31日 (火)

プラレール

かげんどらの会員からプラレールをいただいた。たくさんいただいたので、その一部を「放課後」の子どもに与えたらすごく熱中して遊び出した。お迎えの時間になっても帰ろうとしないほどだった。寄付していただいた会員に感謝。このプラレールは保存状態が良く、以前使っていたご家庭の様子が分かります。

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2011年11月16日 (水)

現在地を見極める

 日本政府が国連子どもの権利条約に署名してから21年、国内で効力が発生してから17年にもなります。しかし、この間、不登校の児童・生徒数は義務教育年齢だけで10万人を越えて、高止まりの状態が続く。停滞・閉塞を続けている教育行政とは対照的に、福祉の方はそれでも世界の趨勢に対応する方向で少しずつ変化を遂げているようです。

 2004年には障害者基本法の一部を改正する法律が公布・施行され、法の目的、基本理念、障害者の定義などが大幅に改定されました。2005年4月には発達障害者支援法が成立し、自閉症やアスペルガー症候群、学習障害、注意欠陥・多動性障害などの障害の存在が初めて国によって認知されて具体的対策が取られるようになりました。

 その半年後、2005年10月には障害者自立支援法が成立。翌2006年12月には子どもの権利条約に次ぐ、21世紀としては最初の国際人権法に基づく人権条約として障害者の権利条約が国連総会で採択されました。政府民主党は障害者自立支援法の廃止と国連障害者の権利条約批准を公約し、現在障害者自立支援法の廃止とそれに代わる総合福祉法の制定に向けて国内法の整備が進められています。2010年12月には、現行制度を見直す間の経過措置として障害者自立支援法改正案が成立しました。さらに今年8月30日、内閣府において、55名もの障害関係者による検討作業が行われて現行の障害者自立支援法に代わる総合福祉法の骨格提言が発表され、厚生労働省はこれを元に法案を作成する段階に移りました。

 福祉の枠組みは10年ほどの間で大きな転換を遂げつつあります。私たちの生活もそれに伴って変えられていきます。「かげんどら」もまた例外ではありません。この転換点にあって私たちはこの地域の新たな課題を見出し、社会のニーズに応えていくために、従来のやり方を折にふれて点検し、「かげんどら」が今いるところ、私たちの「現在地」を見極める努力を怠ってはならないと思う。

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2011年10月18日 (火)

障がいを持つ子どもの放課後支援活動

 最近、かげんどら1階の喫茶ルームを改装して居場所の空間を作りました。車椅子で駐車場から直接部屋やトイレまで乗り入れできるので、主に、身体とくに歩行に障がいのある子どもの居場所に使ってもらえるように考えました。

 平日の午後は障害を持つ子どもの放課後保育でにぎわっています。小学校低学年から高校生まで20数名の利用者の内、毎日10名ほどの子どもを受け入れています。子どもたちの障がいや程度、その現われは当然のことながらひとり一人違います。

 この仕事の本来の目的は、第一に障がいを持つ子どもの放課後保育です。子どもたちが放課後のひと時を楽しく過ごして、安全に保護者にお引き渡しすること、第二に、子どもの状況に合った生活指導を行うことです。前者について言えば、私たちが従来行ってきた活動の延長ととらえれば、力みなく自然に受け入れることができます。私たちはフリースクールや青少年の居場所をやってきて、この20年の間で様々な状況や背景を持った若者と出会ってまいりましたが、障がいの有無や状況で分け隔てすることなく、障がいを持った子どもたちの地域生活の場を作るということにおいてはかげんどら本来の目的に帰ってきたともいえます。

 地域の魅力は良くも悪くも人や出来事との出会いや経験です。出会いは、相手や出来事を発見するにとどまらず、新たな自分や社会の有り様と出会うことでもあります。昨今「出会い」と言えばネット上のことのように思われがちです。それに反して世の中はますますこの「生の」出会いの機会が少なくなってきているように思われます。とかく福祉サービスは利用者と提供者の閉じられた関係で終わってしまうように見えますが、運営資金面での制約という難しい壁はあるものの、その制約の中でも実際は事業所の努力や意図次第で関係の広がりも変わります。

 私たちにはこれまでの経験や地域を拠点とした場作りへのこだわり、地域的なかかわりや同じような志を持った仲間たち、この活動を陰で支えてくださる支援者の協力があります。それらを動員して、ここを利用する若い人たちとともに新たな出会いの機会を継続的に提供することができればと心から願っています。

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2011年9月12日 (月)

障がいを持つ児童生徒の居場所作り

夏の日差しが陰りを見せ始めたころ、生まれたばかりの涼しげな風が、どこからかかすかに漂う木々の甘い香りを運んできます。秋はもうすぐそこまで来ています。

 かげんどらでは、静岡市の放課後支援事業による夏休中の終日保育がようやく終わりました。小学生から高校生まで連日定員の10名近いお子さんをお預かりして水遊びをしたり、公園に行ったりしました。安全第一、事故もなく無事に活動ができたことは何よりでした。子どもたちにはここでの活動を楽しんでもらえたでしょうか。

 夏休みの間は、学習会はお休みをさせていただきました。「居場所」もいつもとは違う雰囲気でしたね。9月に入り、放課後支援が午後からとなるので、いつもの学習会、いつもの「居場所」に戻ります。またどうぞお出かけください。午前中のほうがゆっくり過ごせると思います。

 ところで、今年の夏の終日保育は昨年に比べて子どもの数が多かったにもかかわらず、昨年ほどにはたいへんではなかった印象があります。別に、手を抜いているわけではないのですが。子どもたちがこの1年の間にここで過ごすことになれてきたからでしょう。そして、少しずつですが、長い目で見るとどのお子さんも背丈と同様に心の成長の跡が見られます。ある子は宿題をするようになりました。またある子は、時間内に弁当を食べることができるようになりました。ダンボールやブロックを使って子ども同士でごっご遊びをしました。喧嘩や仲直りをしてお互いの存在を少しずつ意識するようになってきました。

 静岡市の現行の放課後支援は、基本的には地域で安全に過ごすことができる居場所づくりと理解しています。そういう点で、かげんどらの従来の居場所作りと同じではないかと思えるようになりました。何が同じかと言いますと、仲間の存在です。私たちは、異年齢、様々な障がいや背景を持つ人たちが仲間として同じ場所を共有しながら、ここがそれぞれ自分の居場所と感じてもらえるよう努力してまいりました。放課後支援はおそらく事業所によっていろいろな考えの下でそれぞれのカラーがあるかと思いますが、私たちに託された子どもたちと共に、時間をかけてじっくりとここらしい居場所を作ってまいりたいと考えています。

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2010年4月 1日 (木)

不安と好奇心

 4月は新しい活動の始まり。進級進学、就職に職場の配置転換や移動、あるいは転居で環境が何もかも様変わりするかも。そんな中、変化に対して不安を感じやすい人はこの時期はたいへんです。行動に移す前の段階で逡巡する。新しい環境や出会いへの好奇心より不安の方が強いとなかなか前に進むことができません。
 不安は自信の欠如や経験不足を自覚することによって増幅されます。こうなってくると堂々巡りです。どこかでその悪循環を断ち切らなければならないのですけれども、言うは易しで、迷いの渦中にある人にとってはきっかけをつかむのはとても難しいことです。体のどこかが不調であったり、気分が低調であったり、また心理的な不調が身体に影響していたりするとそこから抜け出すのは難しい。
 少しでも気分が上向いてきたときや、気分転換を図って、意識的・意図的にどうにかして新しい環境への不安よりも好奇心を奮い立たせることが必要でしょう。あらゆる手立てを考えて、工夫、知恵、他者のヘルプ、何でもいいからそのことのためにできることを総動員してじたばたしていれば、やがて活路が開けてくるかも。
 不安と好奇心、この時期はその二つの感情がせめぎ合っています。先ずは、好奇心を押し出すこと。その後?それを考えてしまうと足元がすくんでしまいますね。あなたに他者や世界を信頼する気持ちが少しでもあればそれを意識的に膨らませてみましょう。大丈夫、なんとかなります。あなたは独りでこの世界と戦っているのではなく、私たちは互いに支えあっているのですから。あなたがもしも世界を信じることができなければ、ためしにあなたの不安を誰かに打ち明けてみましょう。きっと理解してくれる人が現れるでしょう。

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