「コップの中の嵐」に過ぎないひきこもり問題
社会的ひきこもりの何が問題かといいますと、第一に私たちの社会は引きこもる人々に対して正当な地位と市民権を与えられないでいるということ。社会が引きこもるという行為を正面から受け止められないでいるということに由来するさまざまな、そしてその多くは家族関係に現れるかなりの混乱と、本人とその関係者である家族が長期にわたって精神的に抑圧される状況が持続することに由来する医療・精神保健上の問題です。問題状況が表れる現場はいつも家庭です。家庭以外では何も問題はない。しかし、社会的ひきこもりの数は全国で60万人から100万人の規模で存在すると言われています。多い方の100万人を取るとすると約100万世帯が社会的引きこもりの当事者を抱えていることになります。ひきこもり状態を抜け出す人がいる一方で新たにひきこもる人がいて、全体としてひきこもり年齢は高齢化しています。ということはその親もまた高齢化しているということです。親が必死になってひきこもる子どもの世話を一手に引き受けている間はこの問題は解決しないのではないでしょうか。社会が問題を突きつけられる以前に、家庭がその防波堤の役目を果たしています。今のところ問題状況があるとすればそれは家庭の中ですから、社会から見ればそれはコップの中の嵐にしか映りません。
行き着く先は大方予想がつきます。ひきこもる期間が長期化すれば親は子どもの面倒を見ることができなくなる。経済的にも精神的にも限界をむかえる。親が倒れれば、子どもは行き場がなくなる。老老介護ではないけれども、それに近い状況が珍しいことではなくなる。その事態に臨んでわが国の政治は舵をきることができるでしょうか。行政は対応できるでしょうか。超高齢化社会がもうすぐそこまで来ている。2015年には65歳以上の高齢者人口は3,200万人、総人口に対する高齢化率は26%、国民の4人に一人は65歳以上となる。権利を求める声はこちらが優る。社会保障に係る費用の大方はこちらに充てざるを得ない。優先順位はおのずと明らかです。
しかし、社会的引きこもり100人(世帯)という数は決して放置することはできません。不安をあおる報道に接して危機感を抱く人もいるでしょう。原因が特定できない。誰にでも起こりうること。でも、とりあえず自分は当事者ではない。そのうち誰かがなんとかしてくれるだろう。結局自分の問題とはならない。
現在、全国の自治体は保健所や児童・教育相談所等の機関を拠点にひきこもる子どもがいる家族支援を行っています。ひきこもりに係る民間団体も家族支援を問題解決の有効な手段として位置づけて活動しています。政府のパイロット事業として自立支援ホームといったような当事者を対象とした事業もあります。
しかし、これらの対策は、いつかわたしがこの欄でふれたように対症療法の域を出ていません。大方の非当事者にとっては所詮「コップの中の嵐」であることに変わりはありません。誰かがやってくれているわけです。ひきこもりの人々は決して社会から見放されているわけではありませんが、当事者ではない人々にとっては他人の家の話。それゆえ手の届かない、手の出しようがない繊細であり、良心的であろうとするならば遠目に見ているほかはない厄介な問題かもしれません。
2002-2003年、NHKで行った「ネット相談室」に寄せられた3000件の相談によると、30歳代以上のひきこもりが全体の3割、5年以上のひきこもり経験者は 3割。そのデータからはひきこもりの高年齢化、長期化が読み取れます。ひきこもりは一般に長期になればなるほどそこから抜け出すのが困難になると言われています。ひきこもりの家族会の集まりでも高齢の方が少なくありません。本人と親の両方の立場に立ってみて、もっと早い段階でなんとかならなかったのかと痛ましささえ覚えます。親はどこまで子どもの面倒を見なくてはならないのか、と自分の子育てと重ね合わせてみても考えさせられる問題です。前傾の聖書の話ではないですが、親は自分の子どもの足を生涯洗い続けなければならないのか。「足を洗わないのなら、何のかかわりもないことになる」といわれたイエスの言葉は、自分の子どものことを指して言っているのか。そうではありません。では、誰の足のことを言っているのでしょうか。
前掲の障害者の権利条約の理念(5頁)をふまえて、世界の誰もが認める最高の価値基準からこの問題を考えてみたいと思います。
・世界人権宣言第1条 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
・世界人権宣言第3条 すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。
・日本国憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
・日本国憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2) 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
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