2007年6月15日 (金)

100人目の村人

 国の福祉制度の基礎構造改革が急速に進み、いまさまざまな関連事業が新しく作られています。「精神障害者・退院促進・支援事業」もその一つ。精神病の中でも最も多いのが統合失調症という病気で、およそ100人に1人の割合で発症すると言われています。稀な病気ではありません。世界中でほぼ同一の発症率が報告され、生涯のもっとも盛んな時期に発症するのが特徴です。1%の発症率というのは実感がありません。その病をもつ人たちが私たちの周りに存在感が無いのは、その人たちの多くが病院に入院されているか、入院されていない人も社会の無理解や差別偏見に阻まれて見えなくされているからです。

 日本の場合、世界の流れに逆行しているのですが、精神病をもつ人たちは1993年に障害者基本法において障害者として位置づけられるまで、長い間福祉の対象とはならず、医療の対象として病院に囲われてきた経緯があります。その結果、症状が安定して家族や地域での受け入れの条件が整えば退院できそうな患者も引き続き入院措置が取られる、いわゆる社会的入院患者を多く生むことになりました。その数は統計上、入院患者の約2割。静岡県の場合、入院患者6,233人のうち1,373人が社会的入院患者という調査結果が報告されています。

 近年国は、その社会的入院患者を積極的に退院させる方向に方針を大転換させました。そこで考え出されたのが冒頭でご紹介した「退院促進支援事業」です。この事業の目的は、精神障がい者を、ただ病院から退院させることにあるのではなく、社会的入院をなくすために、また新たな社会的入院を生み出さないために、医療や保健、福祉の分野が連携して、地域に新しい人の流れや環境を作り出すことにあります。

 病院の中に置かれていた人が地域で生活するようになる。家族の一員として、地域住民として、消費者として、福祉サービスの受益者として、施設のメンバーとして、労働者として、まさにいろいろな立場を持って私たちの間で生きることになる。それはあたりまえでごく普通のことですけれども、この社会でそのあたりまえが通らないのが精神障がい者が置かれている状況の難しさです。

 精神障がいは他の障がいと較べて、理解されにくいところがあります。冒頭に書きましたように私たちの周りにいないか見えなくされているということが一番の理由だと思います。それがどのような場合でも、他者と出会うということは、私たちが持っている常識に修正を迫られることですが、私たち自身やこの社会を豊かにさせるきっかけも合わせ持っています。出会いが無いということはそのどちらも無いということです。『世界がもし100人の村だったら』という本があります。長年入院生活をされてきた精神障がい者が地域に住むことになれば、その方々はこの社会を支える100人のうちの1人となります。重ねて言いますが、社会を支える一員です。

 ところで、そもそもなぜこの世に障がいというものがあるのでしょうか。障がいとは人間という種の保存のために無くてはならないものであるということを、確かどこかで読んだことがあります。ナチスドイツではその優生思想によってユダヤ人や少数民族とともに障がい者は抹殺の対象であったといいます。障がいや精神病を否定すべきもの、あってはならないもの、社会にとっては迷惑なものという考えを社会に流布させ、偏見や差別を助長し、障がい者を社会から切り離し、存在そのものを否定しようとする考えそれ自体が犯罪的、暴力的です。違いを認めないということ、違うものを差別し排除するという思想は社会に大きな緊張とストレスを生み出し、結局その社会自体を破滅に導くでしょう。わたしはナチスドイツのことを言っているのではありません。
 

 障がいとは人間性の一部です。と言っても障がいを美化するつもりはありません。確かにそれは障がいを負うものにとっては不条理で否定しようにも否定できないものゆえに、さまざまな苦しみや悲しみを伴うことは事実です。しかしひとに対しては生きる意味を、ひとの可能性や多様な生き方を自覚させ、社会にあっては共に生きることや他者とのつながり、さらには信頼や愛する感情を養い、平和の尊さを知らせるきっかけともなり得て、かけがえのない肯定的な役割を担っていることも事実です。

 『世界がもし100人の村だったら』の著者は、このように語りかけています。

 いろいろな人がいるこの村では、あなたとは違う人を理解すること、相手をあるがままに受け入れること、そしてそういうことを知ることがとても大切です。(理解すること、受け入れることはとても根気と努力が要ることですが、報いも大きいでしょう。)

 愛してください。たとえあなたが傷ついていても、傷ついたことなど無いかのように愛してください。

 愛してください。あなたがこの村であなたと違う人々と暮らしてこうして生きているという事実を。

 もしも、私やあなたから始まって、多くの人が(努力によって)この村を愛することを知ったなら、(そしてこの村を愛することができるようになったなら)、(偏見や差別や排除または)人々を引き裂くあらゆる非道な力からこの村を救うことができます。(それはつまり、自分自身とここでともに生きる人々を救うことになるのです。) 注:( )内は石上の作文です。   

 退院促進事業を実施するに当たって「自立支援員」という資格が新たにできました。社会的入院をされている精神障がいをもつ人が退院を希望されるときに、医療、保健、福祉、行政などの関係者と連携を取りながら、地域での生活を営むことができるようにお手伝いするお仕事です。かつては「地域から病院へ」、そして時代は変わり、これからは「病院から地域へ」となる。その流れを作ろうというところで、微力ながら私はこの度、100人目の村人を迎えるお手伝いをさせていただくことになりました。

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2006年9月13日 (水)

障がいとのお付き合い(つづき)

 私が出会ったある青年は、10代後半で統合失調症を発病しました。彼の場合、私が生涯にわたって病むであろう年月の倍以上もすでに病んでいます。身に受けた苦しみや悲しみは私の比ではありません。統合失調症は、自分の輪郭をつかめないところに苦しみの根があるから、私のように「これが自分だ」とは行かないようです。しかし、彼もまたなぜ自分はこういう境遇にいるのだろうか、と問い続けてこられたと思います。いや問わざるをえなかったのではないかと思いますが、その同じ問いは彼だけではなく、家族や私も含めて彼につながる人々もその意味を探す旅をそれぞれの人生において、または共に考えていくことになるでしょう。そうでなければなりません。そうでなければ、彼の受ける苦しみや悲しみは、苦しみ悲しみのまま彼のうちにとどまることになります。

その「なぜ」を問うことに人として生まれた意味があります。先にも書きましたように、その問いは結局本人以外の誰にも答えられないわけですが、その答えは自分の中をいくら探し回っても見つからないわけで、他者の中に、あるいは世界との関係において見出されるでしょう。そのとき、苦しみ悲しみは決してその人の中だけに終らないということが分かるはずです。人は、固体としてはそれぞれ独立していますが、目の見えないところで人はひとつにつながっているからです。

 

 「なぜ」を問う力をなくした社会や問うことそのものを封印された社会は、どんな社会でしょうか。それはまさしく現代の日本の社会そのもののような気がします。たとえば、不登校や、引きこもり、あるいはニートなど若者に特徴的な群像が次々と現れ出てきますが、学校に行っている人も、就労している人も不登校や引きこもりやニートになりうる精神的なドライブは常に同じようにかかっていることを忘れてはなりません。もちろん子どもは生きる意味を問うために学校に行かなくなったわけではありません。しかし、「なぜ」を問うことをしなくなったこの社会において、人は人であるために不登校や引きこもりやニートという人々の存在を借りて、その「なぜ」を問おうとしているように思えます。

 辛く悲しい出来事をこころの内に凍らせてしまわないで問い続けていけば、いつか必ずその答えは与えられると信じます。世界はいつも問う人に応答しようとしていると思うからです。その世界と出会ったとき、初めに経験した悲しみや苦しみはまったく別なものに変えられていることに気がつくでしょう。人生のある節目において、わが身に訪れた辛い体験が「まあ、それでいいか」と思えるようになり、またそれが人生の賜物と変えられます。その時こそ本当の癒しと平和が訪れることでしょう。

 傷つき絶望に打ちひしがれている人がいたら、どうぞこのことを思い出してください。苦しみや悲しみはいつまでも今と同じようにあなたの中にとどまることは無いということを。

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2006年9月12日 (火)

障がいとのお付き合い

 私には頭痛の病があります。世間一般に言うところの頭痛持ちです。平均すると2週間に一度その頭痛に見舞われます。ひとたび頭痛への坂道を転がり始めて、途中で持ち直すことができれば幸運なほうで、たいていは行くところまで行かないと回復への上昇は期待できません。最も苦しい局面は家族が寝静まった深夜が常で、布団の上でもがき苦しみます。10代後半に発病し、年を重ねるにつれて回復に時間がかかるようになりました。最悪の局面から24時間は脱力状態、完全に回復するには痛みが出始めてから2日ないしは3日を要します。その間、34食は絶食です。頭痛とはいえ、からだ全体に与えるダメージはけっこう大きい。

 一度の頭痛で少なくとも2日は病に臥します。それは平均2週間毎に訪れますので、1年に52日間は病んでいることになります。通常の生活は毎度そこで強制的に中断を余儀なくされます。もっと長い期間で考えますと、7年のうちの1年、人生70年とすると、そのうち10年間は闘病生活を送っていることになります。10年もの間布団の上で苦しむ自分を想像してみてください。単に頭痛といってもこんな犠牲を伴う病気です。人生の7分の1、このことに気がついたとき、だれを恨むでも人生を呪うでもなく、不思議と「あ、これが自分なのだ」と、悟ったような気がしました。家族に対しては週末のたびに床に臥せているお父さんで申し訳ない気がしますが、仕方が無い、これがあなた方のお父さんなのです。家族に病人がいると雰囲気が暗くなりがちですが、病気を通して伝えることができるメッセージもあるのではないかと物事を肯定的にとらえて開き直るしかありません。

 私は、青年の頃吃音で悩みました。吃音はメンタルな要因とフィジカルな要因とが複雑に作用して生じます。吃音はいまだそのメカニズムが解明されていない言語障害です。その点から言えば、私は障がい者です。「障がいは個性」という言い方をします。このことの意味を私は初め理解できませんでした。多くの障がいを持つ人々と接し、また自らの障がいを体験する中で、少しずつ分かってきました。障がいがその人の性格や行動様式を決めていく上での重要な要因になっているということです。私についていえば、吃音が私の性格を形成し、世界との関係の取り結び方を決める上に与えた影響は決して小さくはありません。しかし、その吃音を障がいと呼ぶならば、若い頃から私を悩ませつづけ、通常の生活をするに当たって大いに差し障りをもつ頭痛こそ障がいと言わずに何と言えましょう。

 なぜ私はこのような苦しみに合わなければならないのかと、病の床にあって何度も繰り返し問い続けてきました。その問いに対する答えは、私以外の誰でもなく、結局自分自身が答えるべき問題です。問い続ける中で、少しずつ分かってきたことがあります。この私に与えられた障がいは、決して苦しみだけに終らないということです。人生の半ばを過ぎて、障がいと付き合って30年、40年がたった今、いわば人生の中間決算をしてみれば、私がこれらの障がいによって不幸せだったかといえば、そうばかりではなく、遠く近くに原因を探してみれば、これらの障がいゆえに恵みもまた多かったと思います。とらえ方によってはこの障がいゆえに親を責め、人生を呪っていたかもしれない惨めな自分を思うにつけ、この障がいを「それが自分なのだ」と悟ることができ、障がいを自分の一部と受け止め、またこの障がいゆえに我が身に与えられた数々の恵みを感謝しえることは、人生の賜物でなく何でしょうか。4歳の息子が母親に聞きました。「なんでお父ちゃんには頭痛があって、おかあちゃんは頭痛しないの」と。母親は「お父ちゃんだから頭痛に耐えられるの」と、答えたと言います。(つづく)

 

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