2008年4月 2日 (水)

不登校「問題」の出口③

 私の息子は結局今年1年間不登校であった。本人は学校復帰を願っているが、今はまだその状況にはなさそうだ。学校の担任の気遣いはありがたかった。また、息子の状況を暖かく受け入れてお付き合いいただいた多くの方々に恵まれてほんとうに感謝している。その方々の何気ない普通の関わりは私たち家族がカプセル状態の中に窒息することから救ってくれた。子どもが不登校になったおかげで、親子関係や家族関係で気付かされたことは多い。もしもそれに気が付かずにいたら、別の形でイエローカードやレッドカードを貰うことになったかもしれない。そう考えると子どもには申し訳ないがよかったとさえ思える。

 不登校を子どもの心の問題として単純化しようとする社会の風潮がいかに浅はかであるか我が家の事例で証明できる。不登校「問題」は、子どもの心が問題なのではない。家族や学校、社会のすべてのあり方に検討を促している。問題なのは私たちの方なのだ。

 不登校を「適応の問題」とする考えがある。確かに、この現実の社会に適応していくのは難しいかもしれない。子どもが適応できるよう導き教えることができれば、その子については正解かもしれない。では、その子の次に来る不適応の子どもにも同じことをするのだろうか。「適応の問題」は義務教育にある子どもだけに起こっているわけではない。おとなは「適応」のハードルをますます高くしていながら、「適応問題」の解決を子どもにだけ強いていていいのだろうか。おとなが真剣に考えなければならないことは、子どものこころを変えることよりも、江口昌克・静岡大学准教授曰く、この社会に子どもたちが安心して生きることができるような信頼関係を築くことであり、私たちのあらゆる社会生活の場をその方向に充実させていくことに努力することではないだろうか。

 息子は最近昼夜逆転をしだしている。不登校のお決まりのコースを息子も着実に歩んでいる。食事や生活のリズムが崩れる。家族もそれに引きずられる。ますますはまっていく姿をずっと見せられている親としては、分かってはいても小言の一言も、小言が出なくても顔にそれと表れる。いや、見られたなと思う。しばらく後で思い直す。いちばん辛いのは息子なんだ。その若い肩に「今の時代」を担って耐えている。重たかろう。私は「今の時代」を彼より少し早くから生きてきた者の責任として、また子の親として、このアンフェア(不公正)な格差社会を強いるものに対していっしょに戦い、希望が見える地平まで寄り添って行きたいと思った。その地平の向こう側からは、まったく異なった境遇でありながら、同じような思いを抱いてグローバリゼーションの嵐の中を資本の暴虐と戦って生き延びてきた多くの仲間がきっと私たちを迎えてくれることを信じている。

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不登校「問題」の出口②

 1980年代前半に荒れ狂った校内暴力、それに続く徹底した管理教育、その反動としていじめ、学級崩壊、そして不登校や引きこもり、新たな障がい概念の取り込みによる子どもの分け隔て、若年労働者層の失業や浮遊化など学校外に見られる新たな問題、子どもの自死や子どもによる傷害事件の過度のマスコミ露出、教職員組合への攻撃、君が代・日の丸に見られる思想統制、教員免許の更新制度に見られる教育労働者としての教員の選別と格付け。そして、福祉における基礎構造改革とともに、最後にやって来たのが新教育基本法。もちろん、その先には日本国憲法の改憲が待ち構えている。

 若者たちは感じている。ますます広がる経済格差の中で、この社会は努力する甲斐が無い。努力しても報われるとは限らない。この社会は信頼に値しない。守るべき国やふるさとも無い。若者の社会に広がるあきらめ、無気力、生存の不安、やり場の無い不満や怒り。ますます広がる経済格差は一握りの勝ち組とその他大勢の負け組みを作り出した。もしも所得分配がフェア(公正)に行われれば、努力すれば報われる社会になる。今をこらえて将来に希望をつなぐことができる。結婚もできるし家族も養える。すこしは我慢して仕事を続けようと思うので、簡単には離職しない。フリーターが減る。自分の命の根拠となるこの社会を愛しいと思うようになる。社会参加意識が高まり、将来的に安定した生活が保証されれば年金加入者が増える(かもしれない)。同世代のがんばりや自信は伝染して引きこもる人々を外に導く。

 しかし、現実は逆の方向に進んでいる。格差が広がるだけ資本にとって利益となる。なぜなら、労働が生む価値の中で労働者が受け取る分が少ないだけ資本の取り分が多くなるからである。この格差社会を推進してきたのは新自由主義政策を打ち出した与党・政府である。もちろん、文科省もその政策の立役者となって貢献してきた。今言われている、「教育問題」は社会問題として、そして資本による現代的な労働支配の問題へとシフトして捉えなければ問題の本質は見えてこない。高額所得層を保護し、社会の多数を貧困に追いやる。国民に自己責任を強いて捻出した予算はフリーターやニートなど若年労働者の雇用対策にまわされる。国としてはそれで貧困対策の手は一応打ったことになる。

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不登校「問題」の出口①

 文部科学省の統計によると、今から10年前の平成10年(1998年)度、不登校の中学生の生徒数が10万人を超えた。それ以来昨年度(平成18年度)までその数は同じ水準で推移しているが、その10年間で生徒数が17%減少しているので、不登校の割合は増え続け(同期間で0.5%増)、全生徒数の3%に達しようとしている。3%が多いか少ないかはそれぞれの認識の違いだが、およそ30人学級で言えば全国の国公私立中学の各クラスに一人は学校に行かない子どもがいる計算になる。30人にひとり、数字で表せばそんなものかで済んでしまいそうである。しかし、そこには数字からでは伺い知れない、生身の人間の苦悩がある。中学生にとって学校は社会そのものである。その社会から外れるということは人生経験も少ない子どもにとって自分の全存在を否定されたような重大な打撃であり、若くして負わされる人生の危機である。その痛手とハンディは生涯消えることはない。

 1992年当時の文部省は不登校はどの子にも起こりうるとの見解を示し、それまでの不登校の原因に関する考えを修正した。しかし、原因が分からないでは対策の取りようがない。不登校になってしまった生徒に対しては、対症療法的にカウンセラーを配置したり、適応指導教室や官民の教育・相談機関に委託したりするなどの対策が取られている。不登校の子どもを学校に復帰させる目的で教育委員会が設置する「適応指導教室」は全国に1,000を超え、その数は年々増えている。その甲斐あって、学校に復帰する子どもの数は少なく無い。3%未満で収まっているということは、現場の関係者の努力の現われと見ることもできる。しかし、予防的な対策はほとんど見られないし、予防対策が取られているとしても上記の数字が示しているように実際に効果は上がっていない。そもそも不登校の予防は可能だろうか。

 今から思えば、文部省が当時「どの子にも起こりうる」とした不登校についての見解の修正は、「こころ」をキーワードにしたあらたな管理上の政策転換を進めようとしている中でのひとつの現われではなかったか。「この子ども」はたまたま不登校になっただけであり、もしかしたら、怠学になったかも知れない、暴力やいじめる側の方向に向かったかもしれない。他の問題行動を引き起こしていたかもしれない。今は抑制がきいていても数年後に高校や大学を中退するという形で問題が出現するのかもしれない。不登校の因果関係や予測はつかない。家庭や地域社会を含めた子どもを取り巻く社会の大きな変化の中で、「この子」にはたまたま不登校という現れ方で起こった出来事、だから誰でも起こり得ることなのである。不登校をなくすということは、それと根を同じくする現代的な学校病理と言われるものをも相手に戦わなくてはならない。学校病理は学校を取り巻く社会のあり方を反映しているに過ぎない。結局、本気で不登校をなくすということは文科省はもともと考えていないだろうし、文科省が進めようとしている教育改革やその前提となる政府・与党の一連の社会改革にブレーキをかけることになるので、不登校やいじめなど教育問題といわれる一つひとつを子どもの「心の問題」や「適応の問題」としておいて、小手先の対策で済ましているようなところがあるのではないか。

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2007年10月24日 (水)

不登校の子どもをお持ちのお父さんへ

 今年の4月から私の息子が不登校になった。彼の場合、不登校を「選んだ」と言うよりも、疲れ果て性根尽きて行かれなくなってしまった。前兆はあった。限界も見えていた。中学2年の新学期、予想通り行かなくなった。私がフリースクールを仕事としていることと彼の不登校とはあまり関連が無いように思える。この場合、私は世の親と同じひとりの親であり、世のお父さんと同じひとりの父親であった。学校に行かないそのことよりも、息子がからだ全体で何かしらを訴え、もだえ苦しむ姿にうろたえる。父親は言葉として表されることを第一に求める。しかし、この事態に言葉は無力である。言葉は問題の根を手繰り寄せる「取っ付き」くらいの役しか果たさない。それならまだ良い。言葉は広大な無意識や感情という名の海に浮き沈みし潮の流れに身を任せる木片にすぎないことを認識すべきだ。

 子ども本人の口から言葉による何らかの説明を求めることは初めから期待されないほうが良いと思う。「思う」と私が言うのは、このような問題に断定的な物言いは禁物だからだ。いじめや虐待などおよそそれが原因と思える場合であっても、どうしても原因を特定し得ない部分が最後まで残るだろう。同じいじめを受けても本人にそれを受け流す社交的スキルや周囲の関わりによって事態は違ってくるだろう。そうして搾り出された言葉は本人の口を出たとたん聞く側の受け取り様によって一人歩きすることもあるから要注意。そもそも原因がある程度分かったからと言って、事態が改善したり、学校に行くようになるということにはならないと思う。

 家族に訪れる異変やだいたいのもめ事がそうであるように、その理由を言葉化することはその事態を了解したり経過するに当たってあまり重要ではない。言葉にならなければ悩み苦しみの存在自体が無いとも言わない。言葉化という手続きを踏まなければ事態が解決できないと言うのでもない。だいたいの場合、言葉に拠らぬ方法で事態は収まる。

 感覚や感情に客観性が与えられて初めて言葉が与えられる。感情が心の奥底に潜んでいたり、何かにブロックされているときにはなかなかそれを表現する言葉が出てこない。いくつものプロセスが必要かもしれない。長い時間がかかるかもしれない。そのプロセスを経過し、その時を待つ。感情が言葉となったその時はすでに問題の解決が与えられるかその準備ができている局面なのかもしれない。そもそもその最中に、なぜ言葉を求めるのか、言葉は方便である。ああそうだったのか、そういう訳かと納得したい。得体の知れない悩み苦しみから解放されたい。自他共に了解しあえる少しでも確かなものを得たい。責任が伴うものであれば客観性がものを言う。だから言葉を求める。それは男に生まれた者、父親としての性(さが)かもしれない。親としては親身になって心配してのことだとしても、本人としてみればそれどころではない、なぜこんな時にと不信を招くだけだ。

 人を支えるもの、またひとを揺さぶり動かすもので言葉化し得ないものの方がはるかに多い。息子と私を含めた家族全員に訪れたこの初めての事態をどのように受け止めたらいいのか。絡んだ紐を解くように細心の注意を払って、冷静に根気強く、できるだけていねいに整理してみたいと思った。言葉はいくらでもあとからついてくる。今できること、しなければならないこと、それはまず存在を認めること。毎日の過ごし方や病院選びとか学校との対応、情報の収集、不必要な壁を作らないための周囲への最小限の説明や配慮、家族の日常を成り立たせるために協力者を求めることなど、差し迫った必要に本人と家族が同じ方向を向いて対処すること。

 スタートラインが見えてきたら、言葉化できないもどかしさに耐えつつ、了解し合える言葉を求めて、広大な海原に親子共に腰をかけて釣り糸を垂らすことだろうか。おはよう、お休み、いただきます、今日はどうだった、そういう何気ない日常の会話が家庭に成り立たなければ言葉化は不可能である。いわば、それは家族全員の共同(協同)作業である。その点で、別の意味で言葉(かけ)は重要なアイテムである。そしてその次は、この社会の中で学校にいかないということはどういうことなのか、我が家に訪れた事態をふまえつつあらためて問い続けることである。

 息子が学校に行かなくなってからしばらく、私は不登校はもとより、これまで私が発言してきたその他のテーマについて、なんらかのコメントをすることができなかった。私の中に起きているさまざまな感情に向き合い、一応の整理をつけることが先だと思った。それから半年、私的にも仕事の上でもいろいろなことがあったが、ようやくブログへの投稿を再開するところまでこぎつけた。以後、これまでと同様よろしくお付き合いください。

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