不登校「問題」の出口③
私の息子は結局今年1年間不登校であった。本人は学校復帰を願っているが、今はまだその状況にはなさそうだ。学校の担任の気遣いはありがたかった。また、息子の状況を暖かく受け入れてお付き合いいただいた多くの方々に恵まれてほんとうに感謝している。その方々の何気ない普通の関わりは私たち家族がカプセル状態の中に窒息することから救ってくれた。子どもが不登校になったおかげで、親子関係や家族関係で気付かされたことは多い。もしもそれに気が付かずにいたら、別の形でイエローカードやレッドカードを貰うことになったかもしれない。そう考えると子どもには申し訳ないがよかったとさえ思える。
不登校を子どもの心の問題として単純化しようとする社会の風潮がいかに浅はかであるか我が家の事例で証明できる。不登校「問題」は、子どもの心が問題なのではない。家族や学校、社会のすべてのあり方に検討を促している。問題なのは私たちの方なのだ。
不登校を「適応の問題」とする考えがある。確かに、この現実の社会に適応していくのは難しいかもしれない。子どもが適応できるよう導き教えることができれば、その子については正解かもしれない。では、その子の次に来る不適応の子どもにも同じことをするのだろうか。「適応の問題」は義務教育にある子どもだけに起こっているわけではない。おとなは「適応」のハードルをますます高くしていながら、「適応問題」の解決を子どもにだけ強いていていいのだろうか。おとなが真剣に考えなければならないことは、子どものこころを変えることよりも、江口昌克・静岡大学准教授曰く、この社会に子どもたちが安心して生きることができるような信頼関係を築くことであり、私たちのあらゆる社会生活の場をその方向に充実させていくことに努力することではないだろうか。
息子は最近昼夜逆転をしだしている。不登校のお決まりのコースを息子も着実に歩んでいる。食事や生活のリズムが崩れる。家族もそれに引きずられる。ますますはまっていく姿をずっと見せられている親としては、分かってはいても小言の一言も、小言が出なくても顔にそれと表れる。いや、見られたなと思う。しばらく後で思い直す。いちばん辛いのは息子なんだ。その若い肩に「今の時代」を担って耐えている。重たかろう。私は「今の時代」を彼より少し早くから生きてきた者の責任として、また子の親として、このアンフェア(不公正)な格差社会を強いるものに対していっしょに戦い、希望が見える地平まで寄り添って行きたいと思った。その地平の向こう側からは、まったく異なった境遇でありながら、同じような思いを抱いてグローバリゼーションの嵐の中を資本の暴虐と戦って生き延びてきた多くの仲間がきっと私たちを迎えてくれることを信じている。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント